明治維新後の建築
建築に興味を持たれているかたも多いと思いますが、その佇まいに魅了され、建築家として生きる道を選ばれた方もいるかもしれません。
建築は地面に埋め込む形で建てられる為、動かすことは出来ませんし、人々の生活を密接な関係を持っているので時代の文化を色濃く映し出すものでもあります。
しかし、時代の文化の影響を受けたとしても、完成してしまえば、建築に映し出される特徴は、その地域や時代でも読み取る事ができます。
様式が確立すると、他の地域でも適用させる事が可能になり、ブームのように時代を超えて流通する場合があります。
明治維新が終わった後の日本では、アメリカと同等の近代国家になる事が目標となり、特に西欧の文化を急スピードで吸収してきました。
また、西欧の建築を日本に持ち込むために、アメリカから建築家を雇ったり、後部大学の教育を任せたり、有望な若い日本の建築家は渡欧して、現地の建築様式を体得しました。
当時の街並みを見ていると一目瞭然なのですが、瓦屋根の木造家屋が建ち並ぶ都市の中に、石造などの建築が現れたわけですから、異文化が流入している事が容易に読み取れます。
このように見て行くと、建築が文化と文化を結びつけている事になりますし、様式として機能するという結果を導き出したと思います。
建築様式と文化
私が体験してきた経験上、他国の建築様式を日本文化の上に確立させようとした場合、必ずしも文化を持っている地域に持ち込んでも、そのままの形では受け入れられない事も在りますし、持ち込まれた建築が時代の影響を受け、変化や変形していくと言えます。
私が住んでいる家は鉄筋コンクリートなのですが、これはヨーロッパで確立した後に日本に持ち込まれた物なのですが、私の自宅は押し入れや畳の部屋があり、日本の文化を取り入れた建築となっています。
これは日本に限った事ではなく、韓国の就業住宅を見てみると、台所にはキムチを保存する小さな部屋が用意してありますし、台湾は自然災害が多く、鉄筋コンクリートで作られている家でも様子が変わっています。
台湾では柱だけを鉄筋コンクリートにし、外壁などをブロックで作る場合が多く、日本のように外壁を一体化して作る方法とは異なります。
ちなみに、台湾の建築に鉄筋コンクリートの技術が導入されたのは、日本が台湾を統治していた時代であり、近代的な建築様式の技術を持ち込んだのは、日本の建築家です。
このように、建築様式を通じた文化と文化が結ばれる事がありますが、一方的ではない事も理解して頂けると思います。